東京とどの実会

小山内清孝会長
ご挨拶





・・・中学、高校学校生活思い出の数々・・・


 平成23年度総会において会長就任を指名され,
あまり適任とも思えませんが、前田幹事長以下役員の諸氏が
支えて下さるとのことでお引き受けすることになりました。

 私が北見中学に札幌から転入したのは昭和20年終戦の年でした。
この年は冷夏で石北トンネルを出ると冷気の所為か家々の煙上に昇らず
屋根の面に低くたなびいていたのを今でも目に浮かびます。
寒さといえばその年一年生で強行遠足に参加しました。
多くの人は草鞋を数足背負い走っていましたが、私は当時の軍靴の
ようなズック靴だったので、靴底の釘の痛みに耐えきれず、敢えなく
置戸でギブアップしました。翌年から最後尾の方でしたが、完走しました。

 高校3年の時北見北斗高校になり、男女共学が実施されました。40人のクラス
に10人ばかりの女子生徒が入り教室の片側に集まり、男子と話をせずなぜか当時
流行っていた”水色のワルツ”をハモっていた歌声が耳に残っています。

 その年、生徒会が出来、友人の斉藤満君が生徒会長に当選し、私と池田麗子さん
(現役で北大入学)が書記となりました。その時二人で「北見北斗高校生徒会憲章」
を作りました。その時の時勢で進歩的な内容だったと思います。生徒会が出来たの
を機に全校集会があり私が司会進行を引き受けました。生徒主催の全校集会という
のは初めてで、私は上がって個々の顔が分からないほどでした。議題は「制服を
どうすべきか」でした。会をどのように進めるか五里霧中で戸惑っていたところ、
1年生の女子生徒が立ち上がって意見を述べてくれました。セーラー服が当時の
女子高校の制服とは異なっていたので転校間もなくの人だったと思います。堂々と
した発言であったので会は盛り上がりました。お蔭で会がうまくいったので、
名司会といわれその後何回か司会役を頼まれました。

 私と北斗高校の縁は生徒の時ばかりでなく、卒業して浪人をした時お世話にな
りました。卒業時、大学入学試験のほか4級職国家公務員試験を受け合格していた
のを川端先生が知って、公務員の資格で図書室司書に採用して頂きました。12月
までその仕事に就きその時の給料で貯金が出来、翌年の入学の足しになりました。
従って私は北斗高校の名簿には卒業生名簿の他職員名簿に載っています。

 昭和26年暮れ北見を出てからずっと東京暮らしです。東京とどの実会に出席した
のはそれから30年後、昭和56年原宿東郷会館であったと思います。それからは
ほとんど毎回出席しています。当時は50才直前であったと思います。子どもも
高校生となり、ようやく職場以外の生活に目が向くようになりました。多くの皆
さん もそうではないかと思います。さらに、それから30年お陰さまで長生きを
しています。あまり役に立つ年でもありませんが、できるだけ協力させて頂きます。

 北見北斗高校はラグビーで名を轟かしております。今年は演劇部が全国高校文化祭
で準優勝し、あの東京三宅坂の国立劇場大劇場で自作を演じました。私も参観しまし
たが,演技は立派なものでした。演じている子どもたちを見ながら、私にも60年前、
文化祭を運営した時を思い出し、自分もあんな時代があったと胸が熱くなりました。

この時期に、 私が東京とどの実会会長に就任したのは光栄に思います。
会員の皆様にはご支援のほどよろしくお願い申し上げます。



    2011年6月  小山内清孝(昭和26年卒・26期)



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